若囃太鼓,神童の衣装
 
昭和40年代に中央公民館から委託を受け子供の遊びについて映像で記録した事が有ります。
その時に戦前の回想場面で赤ふんを使いました。(黒ネコふんどしの方が良かったかも)
若囃太鼓結成前の子供達と手ずくりのお神輿でお祭りをやっていた子供達に協力してもらいコンクリート堤防の無い自然な川で子ども達に赤ふんで水遊びをしてもらいました。
その後若囃太鼓が結成されその子供達も入会しました。
太鼓のコンクールに参加することになりましたが、なかなか入賞出来ず子供達がふんどしでやろうと 言い出し、銀賞を獲得することが出来ました。(まだ鬼太鼓座や鼓童を知らない時でした)
この頃から冬の滝浴びも子供達がやろうと12月からお風呂に入る前に水を10杯以上浴びてから風呂に入るようにして2月の滝浴びに備えました。
その後は最後の曲をふんどしでやる様になり又鼓童の存在を知りさらに自信がつきました。
最後の曲にふんどしで出るたびに拍手をもらう事に子供達は優越感を持ったのかもしれません。
22期生以前は女の子も数人いましたが男の子が中学になると女の子を意識してふんどしをしない公演も何度かやりましたが、お客からクレームが来るのです。なぜふんどしでやらないのかと
下館若囃太鼓=子供達のふんどし、というイメージが定着してしまったようです。
子供達が着物を着ていた時代、子供は下着(褌)を着けていなかったようです。
下着として褌を着けられるのは地方によって多少の違いは有りますが、13才から17才にかけて男の子から精通を迎えた一人前の男としての儀式、ふんどし祝いが行われ親戚や親から褌が贈られてからのようです、この儀式を境に褌を着ける事が許され、若者組の一員として町や村の行事や祭りの実行部隊として参加出来るようになり又結婚する事も認められたようです、この中では先輩が新入りの者に子づくりの方法を具体的に教える性教育の役割も有ったようです。

現在、性の情報は溢れ性の低年齢化が進んでいるため子供達も当然興味を持っています、ネットを使えばいくらでも情報は入って来ます、規制の動きも有る様ですが子供達が必要とする性情報をYahooきっずで検索しても一件も有りません、必要とする情報は意外と少ないのです。子供達は結果として必要の無い情報まで大人サイトで見つけ戸惑う事でしょう。
学校での性教育も行われていますが女の子が中心で男の子には一番必要な教育が抜けている様に思えます。
情報が少なく、性に恥じらいを持っていた時代こそ子孫繁栄を真剣に考えていたのかも知れません。
褌は単なる下着では無く結婚出来る一人前の男になった証であり子孫繁栄の呪物だったようにも思われます
若者がお祭りで使った晒しの腹巻や褌を安産のお守りとしている所も多く有ったようです。
祭りの褌は下着としての褌では無く、を済ませた証であり神に一番近い姿だと思います。
若囃太鼓のふんどしは純心な神童の正装であり世界平和、無病息災,五穀豊穣,家運隆昌を願う神童が天鼓を打つ姿を象徴しています   

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